陶芸家で母方の叔母である
古賀福代が天に召されました
最後の冬を熱く過ごし
この春を楽しみ尽くし
立夏からも一緒に楽しみたかった…
面会可能になってすぐ見舞いました
すでに意識は遠かったけれど
その掌に叔母の焼いた志野茶碗を当てて冷たさやザラザラを感じてもらいました
僅かに左手を上げ
目蓋をパチパチ動かしてくれました
連休中の見舞い客を
もてなす気持ちからか…
こどもの日を見守り終え
5日から6日に日付が変わるとき
静かにその生涯を終えました
『人はどう言うかはさておきね、
いくら思い返してみても、やっぱり
私の人生、悪くないと思うのよ』
いつも笑いながら話していました
病を得て余命を宣告されてからも
同じ言葉を繰り返しました
なんでも相談に乗ってくれ
またなんでも相談してくれました
叔母といると必ず最後は
笑い涙がこぼれて腹筋や喉がくたびれました
『ああ、楽しかった!くたびれた…
じゃあね、また!
今日は本当にありがとう!』
今も耳に残る明るい声が
空にこだまして聞こえています
こちらも叫びますね
『本当に楽しかった!
ありがとう~!』
星霜軒で陶芸展をした日
『なんて楽しい日なの?私だけ茶席もお菓子も三度も頂いちゃって……(主役ですからと言うと)陶芸をしていて本当によかった(笑)』
『孫と同い年の学生さんに、先生と呼んでもらえて、陶芸で仲良くなれて嬉しい!』
『福原の家に生まれて福代だなんて、ずっとずっと嫌だったのに
皆が茶碗に福、や、福の神って付けてくれて、私いまごろ福代でよかったー、と思っているのよ』
福原家の理想とする大往生を遂げた
曾祖母に『福さん』がいました
その生まれ変わりと言われて誕生したので福代と名付けられたそうです
まさか鯉のぼりに乗って
三級の滝を登り、龍になるとは
さあお空のお爺ちゃんお婆ちゃん
福代ちゃんをしっかり抱き締めてね
福代さんはやはり福の神です
福の神にしてくれたのは皆様です
叔母に代わり申し上げます
大変大変お世話になりました
本当にありがとうございます
またご一緒に『福』を語らえる日を
(手で捏ねて)共につくりましょう
お別れの会(お葬儀)の場所もまた
都立大キャンパスの近くなのも
奇縁です
—訃報—
故 古賀 福代 儀
5月5日午後11時59分永眠いたしました
享年76歳
ここに生前に賜りましたご厚誼に感謝し
謹んでご通知申し上げます
なお葬儀告別式は無宗教葬にて下記の通り家族葬にて執り行います
羽場 裕美 山崎えり子
お別れの会
日時:
令和6年5月17日(金) 10:00 〜 11:00
式場:
〒194-0201 東京都町田市上小山田町2147 南多摩斎場第三式場
儀式形態 無宗教
↓
https://app.at-sougi.com/obituary/495af030-6d40-48ee-89a9-34c289c18317?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTAAAR2uSzwbBv3_aXM3i3GnIQxOjuGYYzdWm1O5PHiIVI5UV9S5S1sO7FSO2RE_aem_AdMNiNrmiDLA2BYLjwlsq98K68s57WmMbGAQSdCmllZTHmm92WSMxjj5D-tJFcIDHnLa5rqOwVbxb-u6fIV6PPpH