鎌倉の恵観山荘とのご縁も三年が経ちました

鎌倉の恵観山荘とのご縁も三年が経ちました

もともとは急な『呈茶の依頼』からご縁が始まりました
ある日茶友の紹介で、日にちの差し迫った依頼がメッセンジャーに舞い込んだのがきっかけでした

吉森との共通の友人からの依頼でした
文化財茶室への興味もあり、すぐさまお引き受けする返事を出しました

日をおかずに二人で鎌倉へ出向き、茶友と会って依頼に至るいきさつを伺いながら、駅前でシラス丼を食し旧交を温めたことを覚えています

その足で山荘を訪ね呈茶の支度を打ち合わせました
その後の展開のめくるめく輝きを予感していたように、きっかけの話もとんとんと進みました

何か、この場所やお人とのウマが合う!
そんな印象が残りました

旧一条恵観山荘は、御陽成天皇の皇子で、一条家に養子となり摂関を二期ずつ務めた、寛永文化サロンの主役級でいらした恵観公の、加茂の別邸でした
鎌倉に移築され、しばらくは宗偏流の家元がお使いでした

国の重要文化財指定を受けた茶室は、田舎屋風の平屋造り
長四畳に広間が続き、さらに金森宗和好の仕付け棚のある小間まで、唐紙の襖を開け放てば風が渡りお堂のように広々と清々としています

山荘は、同時代の桂離宮や修学院離宮に類似性を持ち、おおらかで雅な交流の舞台だったことが窺えます

建物の風通しが良いことは、寛永文化の特徴だったのか、文化を軸に日本の様々なチャンネル、ジャンルが集い、互いを高め合えたことが場の空気として残っています

そして文化芸術のクロスロードに、茶の湯が欠かせない茶飯事として機能していた証の場でもあります

廊下を仕切る其々の木戸には、寛永文化の名残を見せる絵や、台所の煮炊き用の長炉があるなど、随所に見所の多い歴史的建物ですが、重要文化財でありながら、現役で使われ、炭火を使い茶の湯のもてなしが叶う大変貴重な場所です

谷津の風が渡り、清流が流れる敷地にひっそり佇むこの山荘で、私たちが自分たちの茶の湯を楽しめる日が来るとは…

本当にお茶はどこでもドアでありタイムマシンであり、魔法の世界だと思います

一昨年の五月に、山荘保存会の依頼で『薫風茶会』をいたしました

薫風の頃はエメラルドグリーン一色に煌めく庭園を渡りながら、山荘、江月庵、時雨席と三ヶ所巡りの茶会で、母や夫と私が其々の釜を掛けさせていただいたのです

ゆったりした時間割りでの開催に、一席目の薄茶席を預かった私は、席が終わると露地草履を履いて、いそいそと隣の数寄屋に移りました

江月庵では母が上機嫌に靖子節でお茶席を湧かせていました
あんなに楽しそうできらきら輝いている母を見たのは久しぶりでした

また網傘門を抜けて飛び石を渡り、ウグイスの鳴き止まぬ中に臥すように建つ山荘へ
こちらでは薄暗くひんやり緊張した空気の中で夫や甥っ子ら男性陣による茶席が静かに進行している…

自分が幽体離脱して自在に行きたい場所へ飛び交って家族の様子を見ているようななんとも不思議な感覚の二日間でした
魂が洗われるような心地でした

ここで私は初めて、家族という近さである者同士が、さらにお茶でも繋がれているという絆がどんな味わいを生むのか、流祖を思いながら分かりかけた気がいたしました

いまでは薫風が吹く度に、私は瞬時にこの茶会の至福のときに戻れ満たされた気持ちになれます

年が変わり、50歳の私は、早春の恵観山荘で、自分史において、初めての濃茶席を掛けさせていただきました
気持ちときしては、まだ早いと感じながらも、うかうか過ごしてきた半生を振り返り、先の時間が限られてきたことも感じる日でした

身の引き締まる思いで必死に取り組みましたが、この機会は同時に、社中とともに大きく成長する機会となりました

思うところあり、尊敬する小堀卓厳老師の神一字を掛けましたが、この日の前日に老師が亡くなられ、奇しくも追悼の床となりました

星になられた先達と、ともに在るお茶をしたい、その思いから名付けた星霜軒の庵号ですが、この日もそのことを深く感じる日となり、流祖はもとより、先祖、父母とともにある心地がいたしました

茶会に先立ち、恵観公はじめこの国の先達の茶人や文化人の御霊に献茶し、感謝の合掌をいたしました
そしてこの魂のユートピアが幾百年、幾星霜、続きますようにと祈らずにいられなくなりました

私はこの場所にとどめ置かれた幾多の魂と交流させていただけたのだと感じています

私たちの魂が遊ぶ恵観山荘では、ふと連想からイマジネーションが造り上げた映像が、ほんの少しの時をおいて実現します

この繰り返す奇跡の行く末を楽しみながら通う鎌倉路で、今年は一年、季節のうつろいを我が衣としながら、皆様とのひとときを紡いで参ります

よろしくお願いいたします