星霜抄 ~靖子抄~

星霜抄  
  ~靖子抄~

先週、師匠の稽古場に行くと
背中に光背がついたかと思うほど
すこぶる元気に輝いている…

稽古に入る前から
大事件のように受けた報告は
俳句誌「若葉」の巻頭句に
我が句が掲載された歓びでした

昭和十年生まれの母の
幼い日々の記憶は毎晩の空襲警報

枕元の風呂敷を抱えたまま
足下がびしょびしょの地下壕の
すのこの上にしゃがんだまま
蚊を払いつつ
うつらうつらしたという

やがて疎開先では
極度の栄養失調に陥り
様子がおかしいと
疎開先に来た父親(私の祖父)に
小脇に抱えられ
「非国民!」と罵られながら
用賀の家に帰って来た
「非国民で結構、死ぬときは家族一緒だ!」
温厚な祖父がそう言い放ったという

帰宅後母親は呆然とその姿を見て
小さな声でひとこと
「…こんなになっちゃって…」
と涙したそうな

「この子は長生きはしないでしょう」
そうお医者様に言われたことは
本人の胸にも深く刻まれたと

でも本人は幸せだったと
ただ平和であること
青空を見上げていいこと
もう爆撃機が飛んで来ないこと…

暗くてじめじめした場所に
隠れなくていいことが
感動的に幸せだったと
いまも繰り返し話します

終戦後の何もなかった時代…
文化も教養も知識も
人々の中に残されたものだけだった

父親は七人の子供たちを集め
俳句を手解きした
五七五のリズムに乗せて
身の回りの自然や
ささいなできごとを詩に昇華することを教えた

何もなくて退屈することから
生涯解き放たれた日でもある

青春期に茶道に出逢い
結婚子育て介護と休みない日々
その折りあるごとにも
不思議とさまざまな句縁を得て
昭和史に残る俳人と交流し
永年、先師、松本澄江に寄り添い
俳句誌「風の道」の同人となり
現在は二代目の下
同人会長を務めている

傍ら「若葉」にも投稿している
若葉は大きな句誌で
人数も多く三句選、四句選と
掲載句数もその時の実力で
めまぐるしく変わる

その頂きのような巻頭掲載を
エベレストのように見上げていた
その場所へ我が句が登った歓びは
思っていなかった釣果のよう

女学生のようにはしゃいで
稽古を終えた私達が
水屋で片付けしているのも
もどかしく
もう待ちきれない様子で
若葉誌を開いてぐいぐい
私に押し付けて来た(笑)
「コロナで何もできない時期に
あなたたちに授かった句よ!」
と…

なるほど星霜軒ネタが入っている
ならば私たちのお茶が
人の役にたったという証か

体が丈夫でないこともあり
あんなに愛国心が強い祖父が
非国民と罵られても救ってくれた
その命をずっとずっと大事に
今日まで暮らしてきた

コロナ禍ではひたすら籠り
窓の外や近所をひたすら
句にしてきた

飽きることのない人生を
しっかり見せてくれる師

その窓に言の葉が舞い込んだ日

幸せは連鎖する
小さな言の葉にのって
また人に幸せをはこぶ
ひらりひらり…言の葉が
紙に止まれば
時代を越えて行く

若葉あふれるこの季節に
巻頭作家になられたこと
その句に星霜軒が写っていること
おめでとう
ありがとう

若葉さん
言葉さん
ありがとう
※この日の軸は
白頭の老人に代わって読まれた詩
「歳々年々人不同」

桂堂和尚84歳の筆
母は数え86歳の春