星霜軒   ~四月尽~

星霜軒
  ~四月尽~

一昨年は平成の終わる頃
随分と前のことのよう

昨年は世界が様変わりし
籠って露地を育てた四月…

小さな庭には宇宙があります
今年の四月は

忘れがたい茶事が二会
そのもうひとつは

引き継ぎの茶事でした
私が社中を開いてより
永く寄り添ってくれた
弟子というより野点の同志に
茶名をお渡しできました

家中の床を拭きながら
そこに映る思い出に
心で旅する支度の時間

厨からは精進出汁をひく
干瓢、椎茸、昆布、大豆の香と
玄米を煎る懐かしいような香り

吉森と二人きり
黙々とそれぞれ支度に没入し
気づけば日には境の色も音もなく
好日その日に入っていました

迎え付け初入…
無言が続きマスクの中も涼しい

炉の終わりに真の炭
台子の奥に手を伸ばすときはいつも
巫女さんの仕事で神殿を掃除していた時を思い出す

帛紗をさばく度に
ご一緒してきた野点の光景が浮かび
今と重なり心地よくシンクロします

明治神宮の椚の樹下で
毎年四月は野点してきました
雨の年も雪の年もありました
コロナ以外のナニニモマケズ…

奥多摩の河川では
ごろた石の上で正座する荒行

会津では清流に足を浸しながら
遡上してきた釣り人をフィッシング
清流に歓談あり…

葛西臨海公園の浜辺では
天然の松風の中で
逆に茶室の釜なりを懐かしみました

クロスワードでたどり着く
行き先を知らせぬミステリー野点…
たどり着いた天空の茶席のように
いつも「何処か」は重要でなく
「何処でも」こそが大事でした

聚光院別院の庭では
亡き寛海老師とご一緒に
朝野点した光景は絵巻のようで
すでにそこが極楽浄土でした

釜ひとつあれば茶の湯のなるものを…
あの頃の私たちは
「茶釜ひとつ」も持ち合わせず
庵も畳もなく
床の墨書も欲せず
一輪の花さえ
我が物としてもてなそうと
しませんでした

ただ、自然という庵に
自分たちが飛び込んでいく
元気だけを持っていた

茶筅と抹茶
それがあれば良かった

茶筅は魔法の杖で
緑の粉をふるえば
たちまち人の輪が広がり
魔方陣の中には笑顔が生まれた

何も持ち合わせないことは
まったく「自由」そのものだった

ぐるぐる回る轆轤のような暦の中で
少しずつ少しずつ
互いの茶の湯も成長していった

「無一物中無尽蔵」
彼女が最初に所持した墨跡は
あまりに彼女らしくて嬉しかった
その筆はやはり寛海和尚🙂

有難いなあ
有難いなあ
自然はいいなあ
若い人はいいなあ…

昨日の茶事の間なんども
寛海老師のお声が聞こえました

四月は雨の記憶ばかり
この日の茶事も雨模様
ときおりは風も強く…

これが野点だったら
さぞかし大変だったなあと
きっとそれでも
一緒にお茶を飲んで
笑っているんだろうなあと

クスリと笑いながら
さっと露地傘や露地下駄を出せた嬉しさ…

物がないことの自由
物があることの面白さ
言葉の緑を帛紗でさらりとはらって

無私を旨にお点前に集中…


あれから何回季節を巡っただろう

気づけば毎日釜を掛ける暮らしになり
点前座に私が居ることは
むしろ減ってしまった

点前座で茶を練る
刹那で永遠の
無色の時間を持てるのは
茶事ができるから…
お人が来てくださるから…

寛海和尚と引き合わせてくれた人の
巻き紙に何度も書かれていた言葉
「道縁は無窮」

血縁は濃く重く
地縁は鮮やかに
道縁の淡いようでいて確かな滋味…

懐石料理のお出汁のように
持ち前の味を損なわず
じわじわ柔らかく茶味が染み込む
私たち

古仏過去久

玉室の筆は
束ねた細い松葉のように
文字から風が吹き抜けてくる

見送りも雨の中
余情なのか湿気なのか


茶室にはいつまでも人の気配がする

一夜明ければ
晴天の露地に薫風が吹き渡る

風に急かされ炉を塞ぎ
畳を入れ換え
屋根裏から風炉を下ろし
灰の細かさに驚き
炭の軽さにまた驚く
風炉の世界に包まれていく

二日後は初風炉の茶事で
学生たちを迎えます

茶事がなかったら…
一歩も立ち上がれないはず

頭のてっぺんから爪先まで
爽やかな風とともに
閃光のような疲労も貫いています(笑)

支度の日も茶の湯の日
緑の粉をふるい
茶筅の魔法をくるくる効かせて
自分たちの為のお茶を
なんども
なんども
点てては薫風を吐きました

四月は尽き
わたしも力尽き
新しい季節と
新しい自分を迎えます
薫風自南来