2018 夏の休日 vol.13

旅の日記 ~その13~

ついに最終日の中庭ポートレート

惜しむように懐かしむように
ラトゥール通りを歩きました

花屋、八百屋、肉屋、カフェ、パン屋…
暮らしの店が居並んでいる街
こんな町並みが減っている東京
人々が暮らしを大事にする国なら
いつだって街は応えて変わって行く
そうであって欲しいと願う

凱旋門から始めよう!
これは6年前の親子旅でした
凱旋門から近いモンソー公園近くの
アパルトマンを借りて暮らした
クリスマスから新年の二週間

今回はエッフェル塔を朝夕に見上げる旅
凱旋門は最終日となりました

二人で歩くシャンゼリゼ通り
なだらかに下る散歩道
銀座や表参道と比べながら
ピエール・エルメでひとやすみ

クロッカンを頼んだら品切れ
ギャルソンが勧めたのはクグロフ
「色も素材も大体、一緒です」
の説明が微笑ましく納得

クグロフは思ったより大きくて
強すぎない甘味
重すぎない後口
ナイフとフォークで頂きました
定番こそ丁寧に造る…ピエールさん流石
素直に美味しかった✨

パリでは、サロン・ド・テはもちろん
レストラン、カフェ、クレープリー、どこでも
ハーブティーがポットで頼めて
さらにおかわりのお湯を拒むところは
ひとつもなかった

イギリスを旅しても同じで
ポットはさらにラージサイズだった

昨今の日本のサロンやカフェでは
「お湯のお代わりはお断りしています」
なんてマニュアル通りと言わんばかり
悪びれもせずに平気で言うところが多い…

信じがたく絶望感さえ湧いてくる
嘆かわしくて情けなくて
それでカフェとか茶寮とか言える
無神経さが恐ろしくさえある

まだ十分に頂ける茶葉を
捨てることが義務つけられた店
それではペットボトル飲料と大差ない

お湯がない訳ではない
時間がない訳でもない
予算がない訳でもない

ただ、心がないのです
ゆっくりお茶を飲んでくださいという
基本的な心がないのです

日本に帰るのが少しだけ残念なのは
こんな些細で基本的なところにある

おもてなしの国だなんで
自ら声高に言わないでほしい
外国の人たちにお湯のお代わりを求められたら
平気で断らないでほしい
マニュアルに反してでも
理由をつけてお湯を差しあげてほしい
私たちは外国で
こんなに親切にされて来たのだから…

旅人への一杯の水は命水であり
お代わりのお湯は歩き疲れた者への
安らぎの提供であり
だからこその一碗のお茶…、、、

それらがもてなしの基本でなくて
いったい何がおもてなしなんだろう

最高の茶葉とか
最高の焙煎とか
最高のサービスとか
最高の、最近の…って
最高なんていう言葉は最初から意味がない
接頭語でしかないのです

すっごい、とか
超~、とか
やたらいう人ほど凡人です

普通に優しくあろうとすること
それを全うしようとする姿勢
本当に美しいものはそこに在る

パリではエトランゼの私たちが
滞在中に「ボンジュール」を
何百回口にしただろう

それは、エトランゼの私たちに対して
パリの数百人の人たちが
「ボンジュール」と呼び掛けてきた証です

暮らしている街でするより多く
挨拶を交わす街、パリ…
私がこの街を愛して止まない理由です