東西見聞 10th結婚記念日に

西東京あきる野の古刹 大悲願寺へ

伊達政宗の実弟が住職を務め
兄政宗の供養記録が残る場所

(第15世 法印秀雄が政宗が家督争いで殺めた弟として歴史物語に語られるところの、小次郎または政道に当たるかは諸説あるが
少なくとも伊達家の家柄を一切隠して長くここにいたことは確か)

実際、政宗もこの寺を訪れている
前住職に白萩の株を送ったり
寺に茶壺を贈るなど?
ただならぬ親しさを感じる
政宗公の消息が残るようだが
主に仙台藩史側の記事しか見つからない
東京ではあきる野と伊達家との繋がりは
聞かない

とにかく空気を吸いに行こう
一の谷を抜けると当たりは急に
修験道めいた景色になる

真言宗豊山派らしい人家の少ない山あい
周囲はキャンプ場と薪を売る店
五日市線の単線踏み切りを急カーブで越え
すれ違いは不可能な双方向道路の奥に
保育園と石材店と香和屋(かわや・公衆トイレ)と、立派な山門がある
境内は苔むした大杉が聳えている

以前から来たかった場所のひとつでした

なにも結婚記念日それも10周年の日に
ここにドライブしなくてもよいのだが
思い立ったが吉日

お日様と梅の香りに誘われて
栗平から一時間半ほどのドライブ

しーん
と痛いほど静まり返る境内は
口が固い真言宗の山寺の無言の圧力

歴代住職の宝塔をお参りし
苔むしてかつ摩滅して読めない墓碑を
丹念に辿る
中野区の宝仙寺に秀雄法印の墓があるとか
いずれそちらへも…

なぜ伊達家とりわけ秀雄が気になるのか
その理由は茶道具の呟きにある

数年前に利休所持・伊達家伝来の
(大正より鈍翁旧蔵)真壺(葉茶壺)を手にした

一緒に暮らすうちに
しばらくしてからいろいろと
不思議なことに気づいた

壺の木蓋の裏に微かな違和感…
真ん中に擦りとられた文字痕がうっすら
横に新たな墨書きで
この壺の特徴と思えるが別の名あり

外櫃蓋に書かれていた墨文字が塗り潰され
その部分を周囲から切り取ろうとして
諦めた刃物の痕…
正面の家名も切り取り痕があり
蝶番を絶ちきって後ろから開閉していること

もっとも腑に落ちないのは
七斤の大壺で利休所持が沿いながら
壺名が古い文献に見当たらないこと

そして私の妄想が消えないのは
この壺の釉雪崩などの特徴が
神屋宗湛の茶会記に克明に記された
ある名壺に酷似していること…

壺の底が土の色と違い
不自然に塗られたように見えること

秀雄さんなら何かご存知かもと
もしやの託宣を求めて来ましたが
摩滅した文字で墓石が特定できず

また参ります

こんな迷い道に付き合って
あいともに道草を食みながら
のんびり歩む散歩のような暮らしに
はや10年の道連れの
吉森殿にありがとう