東西訪問記 ~悟りの窓と夢の稚子井戸~

~悟りの窓と夢の稚子井戸~

光悦寺を出てすぐ向かいの源光庵へ
ここは「血天井」と
「迷いの窓と悟りの窓」が有名ですが
私たちには他にも目当てがありました

どこよりも手入れの行き届いた境内には
中世に建てられた修道院と同じ
清水のような歯に染みるほどの
澄んだ光が宿っている

白萩の後の血天井‥‥
血痕が木目に浸みる様は
私の心の底の方ある
触れられたくない澱のような感情を
たきまちかき混ぜられてしまう

三百八十人の自決の跡‥‥
ひたすら鎮魂の祈りを捧げても
人間の性の寄る辺なき深い闇を思う

続いて悟りの窓へ座を移し
丸く抜き取られた壁の外に向かって
金風に乗せた憂いを吸わせる
緑蔭と無心はきっと隣り合わせにある

お目当ての「稚子の井戸」は
何処ですかと尋ねると‥‥‥
美しい女性がなぜか顔を曇らせ
眉間に微かな影ができた

「墓所への道沿いにありますが‥‥あの、手入れもしていないので、かなり足元が悪いと思います‥‥本当に行かれますか?」
「あ、はい、とりあえず行って見ます」
「‥‥くれぐれも、お気をつけて‥‥」

ちょっと怖くなるおっしゃり様でしたが
二人なので行ってみた
表示もあるし入り口の石段も整備されている

が!敷地に入ると‥‥むむむ!
というか敷地に踏み込めないほどの
何年ぶりかの本格的「藪漕ぎ」!

セイタカアワダチソウ
萩に薄に
ヌスビトハギに
若松
若杉まで‥‥

ほとんど背丈を越す植物に
体当たりで分け入る!
一歩ずつ踏み固めながら帰り道を着ける
草に手を切らぬよう
肘で払い
靴で踏む‥‥しかしワンピースなもので
草でたくしあがって仕舞い
膝下は無防備になる

一回目、井戸への到着を断念し入り口に戻る
二回目、井戸の屋根まで見えたがやはり断念し入り口に戻る

見ればヌスビトハギの種だらけ
石段に座り数百個の種子を
衣服から剥ぎ取る
(もしかして「萩取る」から来てる?)

一度諦めて墓所を見て帰りがけ
吉森果敢にも渇れた側溝の中を
敷地沿いに進む
後に続く

アタック三度目の正直で
ついに「稚子の井戸」跡に到着!

今回の旅は大徳寺の徳禅寺様のお招きでした

京都が深刻な水不足のおりに
(大徳寺二世でもある)徹翁義享が
夢のお告げで西の谷に見つけた稚子井戸‥‥
以来現代まで一度も渇れたことがなかったという隠れた名水でした
(京都検定一級問題に掲載)

しかし隣接する鷹峯小学生の
平成の改修工事の際に
谷を埋めたてて井戸は完全になくなってしまった‥‥

工事後、稚子井を惜しみ
形のみでもと元の場所にと
井戸然と構えをつけて屋根も掛け
由来書きを立てて
「永久に顕彰」したもの、、、

お水を汲めないならその意を汲むべしと
やって来たのには、あるえにしがありました

今年7月のオンライン月釜で光悦と
本阿弥行状記をとりあげた際に
鷹峯にちなみ錦玉羮で「稚子の井」の銘で
菓子を創作しました
星霜軒のやまももを一粒浮かべ
アオサを使い清水を表現した
鷹峯と星霜軒と客人の庵を結ぶ
「どこでも井戸」

そのお礼参りと思ったのですが
ちょっとしたアドベンチャーになりました

徹翁義享国師に歩み寄るのは
簡単でないのだと可笑しくも妙に納得し
当山が案内時に眉を潜めた意味も納得

西陽を浴びて輝くセイタカアワダチソウ
藪漕ぎの草いきれで心臓が高鳴るような
過酷さの中でも無意識に美しさを見出だす
これも人間の性である

金風がふいて草がさあさあとざわめいた
風の谷のナウシカを思い出した

その者青き衣を纒い
金色の野に下り立つ時
失われし井戸は再び水を湛えるだろうか?
(笑)

徹翁さま
忘れ難き思い出をありがとう