東西訪問記 〜男山探訪2〜

男山探訪2

石清水八幡宮の山歩き
竹、竹、竹、竹
心の垢を櫛削るように
天に伸び、地を掴む青竹の中を歩む
武士も公家も町衆も
ここを登る人はみな等しく
世俗を脱ぎ捨て石段を登る

私たちは頂上から始まり降りていく
(しかしどのみち、また登らねば帰れない
車は頂上の駐車場にあるのだから)

泉坊の石の鳥居は
松花堂仲間の板倉重宗(京都所司代)の寄進
刻まれた文字は昭乗の筆
現存する最古の鳥居がこれときき驚く
板倉さんは男山の歴史で見れば
最近の人なのに‥‥

ここに霊泉あり
深く大きな井戸には立派な屋根がかかる
とりわけ大きな金柄杓
三人揃って笑いが湧く
大柄杓で大鏡柄杓する吉森
交互に手を洗い心を洗う

覗けばやや乳白色の泉の深いこと
底にメガネやスマホがないかな‥‥と(笑)

昭乗が築いた閑雲軒の跡地へ踏み込む
微かな石垣の後と
落ち葉に埋もれた礎石を探しだす
礎石の延長線上にまた見つける次の礎石
さらに進めば崖の手前まで‥
これ以上近寄れば落ちるかな?
という処まで進み
今は繁った樹木の向こうに
僅かに透ける都を探す

最長7メートル近い柱を立てて
この崖に張り出すように造られたらしい
松花堂の空中茶室を偲び
「これは楽しかったね」と語りかける
昌俊も信尋も遠州も重宗も亡羊も
みんなせっせと登って来たのは
ここで待つ昭乗との語らいが愉しくて
浮き世に憂いを探しだしてまで
また男山に心の洗濯に通っただろう‥‥

ここでなければ明かせない秘密
ここでなら話せる本心
みんな抱えて石段を登る

さらに下って昭乗の隠居所である
「松花堂」の跡地へ踏み込む
こちらはひと気はないが整備され
露地跡や住居跡が解るよう区画され
石が打たれている
茶室はちょっと炉の位置がずれているが
座って見れば往時の賓主の距離感が分かる

私たち二人が落ち葉に座って
夢中でままごとする様を
八阪氏が優しくカメラで捉えた(笑)

ふと気配がして見上げると
そのままごとを一羽の鳩が見守っていた

「あ、松花堂さん?」
二三度羽ばたいて頭上をあちらへこちらへ‥‥
「やっと来ましたよ~もっと教えていろいろ、当時のこと、楽しかったこと」
パパパッと羽ばたいて森の奥へ飛び去った

竹藪の細道が続いている
気になってつい草を踏み分けて進む
八阪氏はお洒落なローファーを履いている
これ以上、藪漕ぎに付き合わせたら悪い

さっさと奥を見て引き換えそうと思い
足早に行くと
竹林の中の方々に石垣があり
男山四十八坊と言われた通り
山中にはたくさんの坊があったのが分かる
流行らなくなって捨てられたのか
明治の廃仏毀釈でみな姿を消したのか‥‥

引き返し様に竹林の中から呼び止められて
ぎょっとする
なんと八阪氏が草むらの奥の湿地に居た
「ここから湧いてる!」
石清水八幡宮の名前の通り
岩の下から滴る清水が見えた!
足下はズブズブで辿り着くのは無理だけど
滴りが湿地になり
歯朶が繁茂し
向こうに見えるのは双葉葵!

湿地はやがて小さな小さなせせらぎに変わり
段々勢いを増して松花堂の近くを通り
先ほどの泉坊の井戸へ至るのだ

行きては見る水の極まるところ‥‥
八阪さん水先案内ありがとう

竹林を出ると
向かいの梢から
鳩が一羽またこちらを見ていた
昭乗さんありがとう

満足満足
というよりこれ以上無理
二度石段を登って登ってエジソンの碑へ

エジソンが電球発明の際に
世界中で一番フィラメントに適した
天然素材として選び出した男山の竹‥
八幡の石清水を含んだ竹の繊維が
千時間の点灯を実現し
世界中を明るく灯すはじめの一歩になった

白いローファーがまだらになり(笑)
足がくたくたで駐車場に辿り着いた

またゆっくり訪れたい
今度はスニーカーにストックで来たいかな
さらに奥の細道にまたなにか見つけたい