料理研究家の土井善晴先生と
吉森が出逢ったのは
二十年前に遡ります…が
リアルでの対面は初めてでした
永年私淑する師に巡り逢えたのも
国際俳句協会のお陰様であり
母の紡いできたえにしの賜物
そして「文学」と「料理」の異世界を繋ぐ絆もまた、「季節」であり「自然」の美しさでした
土井善晴先生のお話から
生命は常に物質代謝している
そして人間の特性は
「料理して食べる生き物」であること
と教えて頂いた
料理は命に介在している
誰かのために料理することは
その人の命に関わることであり
自然界とその人を交互に思い
素材で両者を結ぶこと…
つまり料理は無償の愛だということ
およそ吉森の生き方をこれほどまでに言語化してくれる人がいただろうか…と、土井先生の「お天道様の秩序」に頷き続けた
以下は私見です😊
素材との出逢いは
巡り来る季節の営みを実感し
宇宙の真理を露に見ることだ
二つとして同じでない
予定調和のない自然
言語化できないと言われる味覚だが
懐かしさまで分かちあうことが叶う
「味」そのものが言語、もしくは信号だと思う
常々感じることは
宇宙の森羅万象は
常に「他と交ざろうとする」こと
空気も水も生物も私の意識も…
交ざることを止めることはできない
抗うのは、抗いでしかない
そう感じて生きている私に
次の一言は腑に落ちた
~「とき(時)」という言葉は
「溶け」から来ている~
~諸外国が「進化」する中で
ひたすら「深化」してきた日本~
速いものが正しい価値観の中で
時間をかける「弱火」のすごさを思い知ることができる「料理」は
禅師かシャーマンかも知れない…
あるいは、宇宙の根理であるブラフマンが、大好きなサツマイモや鰈や黒豆に姿を変えているのかも?
ご神体に向き合うように
五感を澄ませ、心を向けて
鍋の中を見つめる吉森…
絵筆を持つときと似て閑な目
それは密かな私のイコンでもある
先生の話は続く
~料理は無償の愛である
「美味しい」は「愛おしい」である…
~巡る季節を一椀の中の素材に見いだすことは幸せな気付きの瞬間
一年ぶりのものばかりが毎日続くことがこの国の豊かさだ~
料理する者は知っている
料理をすれば幸せに気づける
~「気付き」こそはよろこびであり
世界中が求めているのが気付き
~「もののあはれも、侘び寂も、
特定の人が味わうものではなく、
万人のものである」
そう語る土井先生は
「芸術は万人のもの」と語り続けた天才バレリーナのアンナ・パブロアと重なる
講演会終了後、ご挨拶させて頂く
吉森「二十年前に母が病で亡くなり、それから料理をするようになりました」
土井善晴先生「茶道家の方に、侘び寂はみんなで分かち合うものだと、もっともっと広めて欲しい」
なんだか親子の対面を見るようで私がニコニコしてしまいます😊
独学で二十年、土井善晴先生の料理を作って来た永年の弟子として
嬉しい対面が叶いました✨
私もかれこれ十何年は吉森の作る
土井先生の料理を食べて生きていますから間接的に先生の無償の愛を受けて来たのですね
宮沢賢治の「分け与えても減らないリンゴ」のように
愛は連鎖し溶けあって
やがて巡って繋がれて広がる
命は増え、交ざり、また増えるもの
吉森「料理は命と魂の再分配です」
…御真言を唱えるようにつぶやき
今日も台所に立つ神の子は
自然界と隣人の間にいて
両方へ愛と敬意を注いでいる
2025.6.30







